ガールズバンド 洋楽 90年代
まとめ|80年代〜90年代の女性ボーカルバンド. ガールズバンドとは女性だけで編成されたロックバンドのことです。日本の音楽市場に登場して以来、一定のファン層と売り上げが期待できるジャンルとなりました。 本格的なロックサウンドはもちろん、J-POP寄りなバンド、パンクからオルタナ、GSやアイドル風まで様々です。日本武道館で公演するようなメジャーアーティストから、ライブハウスで盛り上がるインディーズバンドまで幅広い層が活躍しています。 当記事ではガールズバンドの歴史を年代別に解説しました。その時代を代表するバンドや、影響力が大きかったバンドを紹介しています。個人的にオススメのガールズバンドも紹介しているので、どうぞお付き合いください。ウィキペディアによると日本初のガールズバンドは77年に結成され79年に解散した日本の女性ギタリストの草分け的存在である 79年に結成したこのバンドの特色は何といっても多彩な音楽性です。パンク、ニューウェーブからブラックミュージックまで幅広いジャンルの楽曲を制作しました。解散したのは96年で「もっとも長く活動した女性ロックバンド」としてギネスブックに記載されています。※アメリカ文学の代表とも言われる『グレート・ギャツビー』の著者F・スコット・フィッツジェラルドの妻です。彼女の破天荒な生活は1920年代『ジャズ・エイジ』もしくは『狂騒の20年代』を象徴する女性としても知られています。 メジャーシーンに限らなければ、それ以前にもガールズバンドは存在していたでしょう。楽器を持った女子たちのグループは、男性のみならず女性から見ても問答無用でカッコいい。ただし、当時の一般的な価値観は違いました。 昭和の時代はエレキギターを持っていれば不良とみなされる風潮がありました。ましてや女性がギターをかき鳴らし、ロックを歌うなどということは考えられない時代でした。もちろん日本にもヒッピームーブメントはありましたが、ごく一部の地域に散発的にヒッピーコミューンが存在した程度です。現代と比べて、昭和の同調圧力はとても強い中で、女性たちがバンドを組むのはとても勇気が要ることだったはずです。それでは、各年代の代表的なガールズバンドについて語っていきましょう。もくじ本格的にガールズバンドが注目されだしたのは80年代でしょう。バンドブームの時代です。先に述べた85年にデビューした87年にSHOW-YAの発案によって日比谷公会堂で行われました。出演者はもちろん、制作スタッフも女性限定で固めたこだわりのフェスでした。 一方、インディーズシーンではどうでしょう。当記事ではメジャーとインディーズという言葉が出てくると思いますが、両者の違いを補足しておきます。「日本レコード協会」の会員になっているレコード会社がメジャー。会員でなければインディーズです 86年にはアメリカ進出を果たし、オルタナティブロックに大きな影響を与えたバンドです。また、カートは自身のライヴで「ツイスト・バービー」という曲をカヴァーしたことも知られています。83年に京都で結成したガールズパンクバンドメジャー系に慣れた耳で聴くと色々な意味でビックリするような音楽性ではあります。ノイズパンクの雄85年に結成した89年には『三宅裕司のいかすバンド天国』(イカ天)にも出演しました。20年以上の活動期間を誇るバンドです。※本名の宍戸 佑名(ししど ゆうな)名義で、ヴォーカル&ドラムを担当。 こうしてみると、80年代当時のガールズバンドは現在よりも二極化している印象です。明るくキラキラした80年代の空気の中でも、メジャー路線とインディーズ系の方向性の違いは今では考えられないほど大きかったのです。共通するのは、彼女たちの雰囲気からは「アイドルとは違う」というプライドを感じさせるところです。90年代は前半と後半で大きく雰囲気が違います。『平成不況』と呼ばれ、日本は長きにわたるデフレ不況に苦しみますが、90年代初頭のテレビではまだまだバブルの雰囲気が残っていました。先に触れたアマチュアバンドが審査される『三宅裕司のいかすバンド天国』が深夜番組だったにもかかわらず、一世を風靡しました。当然、ガールズバンドからもチャンスをつかんでメジャーに進出したこの辺りまでは80年代のバンドブームと地続きです。 90年代初頭は大手レコードレーベル・所属する女性ヴォーカルでは当時はアイドル冬の時代と言われ、アイドル歌謡曲という言葉が急速に死語になった時代でした。その代わりに使われるようになったのが80年代後半くらいから歌い手が歌詞を書くケースが多くなったことから、歌手ではなくアーティストと呼ばれるようになったのではと思います。作曲もできるシンガーソングライター(SSW)は日本ではロック系も小室サウンドもビーイング系もおおよそJ-POPアーティストという言葉でくくられました。 とにかく90年代は音楽CDが売れに売れた時代です。96年にブレイクした98年のデビュー後即ブレイクしたのシンガーソングライター多くの女性アーティストがヒットチャートをにぎわしていた時代です。女性ヴォーカルのバンドでは93年デビューの99年にデビューしたWhiteberry(ホワイトベリー)なども知られています。 そのような状況下で、J-POP界隈からは距離を置いて独自の発展を遂げたのがインディーズ・ロックシーンでした。無難な楽曲、大手企業とのタイアップ等、J-POP的な価値観についていけない層の受け皿になったのは、独立系のレーベルでした。J-POPが嫌いな人の心理は、こちらの記事にまとめてあります。ともかく、 97年にはガールズバンド専門レーベル「ベンテン・レーベル」が設立されています。パンクロックバンド、当初から海外を視野に入れた活動を展開し、95年にはアメリカの音楽雑誌『ビルボード』の表紙を飾りました。しかし、とても残念なことに99年にヴォーカルの09年、彼女の没後10年のメモリアルにライブで活動を再開。10年にはフジロックにも出演しています。00年代にはメジャーシーンで主なバンドをザッと紹介すると…。00年の01年〜04年の04年〜08年の06年の  この辺りからガールズバンドがメジャーシーンで一定の地位を占めるようになりました。しかし音楽市場自体は00年代中頃を境に、CDの売り上げは急速に縮小していきました。そうした中でもライブ、フェスなどのイベントは客足を伸ばし続けていきます。全国各地で開かれるロックフェスには、たくさんのガールズバンドも出演して盛り上がっていました。  ともかくインターネット・SNSの普及により、これまでよりも情報が発信しやすくなったことで、音楽シーンを取り巻く状況は一変しました。動画配信サイトやブログなどでも好きなアーティストの情報を入手しやすくなったことも、影響しています。それに加え00年代の音楽シーンを語る上で外せないことが一つあります。それは、  この状況が私たちに与えた影響は計り知れないと思います。「昔のバンドをYouTubeで見て好きになった」「売れていてもいなくても、お気に入りのバンドを応援したい!」このような流れは、10年代になるとより顕著になっていきます。 また00年代中盤からは、明確なコンセプトや世界観を打ち出したバンドが多くみられるようになってきました。代表的なのは07年に「創業」(結成)メンバー全員がマッシュルームカットで統一され、自らを「従業員」と呼ぶ音楽集団です。鬼才と呼ぶしかない「支配人」のうなるファズギターが昭和のGS(グループ・サウンズ)や、プログレッシブ・ロック、サイケデリック、ラテン・ロックなど「いつか視た幻」のような唯一無二の世界観は強烈なインパクトがあります。10年代は空前のアイドルブームでもありました。それに加えて、アニメ視聴が若者のトレンドとして定着し、アニメソングを歌う声優にスポットが当たった時代でもあります。そんな中でも、ガールズバンドの地位はゆるぎないものでした。 10年にデビューした[以上ザックリと、ガールズバンドの歴史を述べてきました。80年代の気合いの入った「姐さん」たちのバンドと比べ、現在のガールズバンドは基本的にカジュアルです(一部を除いて)しかし10年代に活躍するガールズバンドが、有名・無名を問わず演奏力が向上しているように感じるのは私だけでしょうか?もちろん頂点のレベルは80年代と現在、そこまでの違いがないような気がします。蓄積した表現方法や、積み重ねられてきた音響技術を考慮しても、間違いなく裾野の音楽レベルは上がっていると思います。 そこには80年代バンドブームの時に若者だった世代が親になったことも影響しているはずです。親の影響でギターを始めた女子も多いでしょう。少なくとも、女性がギターを弾くことへの抵抗感はないでしょう。手軽に練習できる環境も当時よりは整ったことも影響しているはずです。動画サイトなどで演奏技術が手軽に学べること、気軽に発表できるようになったことも大きいでしょう。 CD不況と呼ばれ、誰でも知っているヒット曲もほぼなく、ミリオンセラーが出ない状況は「音楽不況」とも言われています。しかし、音楽自体は決して不況ではありません。音源で稼ぐ時代は終わったかもしれませんが、ライブでの動員数は昔よりもずっと増えています。体験はコピーできないからです。 むしろ以前よりも幅広い表現が、様々な形で成されているのがハッキリと見える豊かな時代になったと思っています。そんな中で、これからもたくさんのガールズバンドが面白い活動をしていくのでしょう。楽しみでなりません。00年代は世界中の音楽業界が大転換期を迎えました。原因はPCの高性能化と、インターネットの普及です。さらに01年に米アップル社が発売したデジタルオーディオプレイヤーiPodの登場。音楽再生・管理ソフトiTunes(アイチューン)が登場した影響も決定打となりました。 CDやMDを使わなくても、データとして音楽を持ち歩き、楽しむ時代になりました。実はソニー・ミージックエンターテインメントは99年にbitmusic(ビットミュージック)という音楽配信サイトを立ち上げています。 その一方で音楽データの違法コピー、ダウンロード、ファイル共有などを使った著作権侵害行為も横行しました。音楽ファイルが簡単にコピーできてしまうことに対抗するため、エイベックスなどの大手レコード会社はしかし音質が劣化するなどの技術的な問題があり、反対するミュージシャンも また動画サイトの普及により、合法違法を問わず、アーティストのPVやライブ映像などを好きな時に見られる状態になりました。「聴き放題」のストリーミングサービスも広まり、もはやスマホ一つあればさえあれば、ありとあらゆる音楽を楽しめる時代になりました。 00年代中頃から、CDの売り上げはAKB48やジャニーズ事務所に所属するアイドルがメインストリームになります。こうした音楽業界が激変した時代に、ほとんど影響を受けずに元気だったのがガールズバンドでした。  Published onBy嗚呼、90年代。それまでにはあり得ないようなバンドたちがチャートのトップに上り詰め、メインストリームから離れたインディ・アーティストが多くのリスナーから支持を得ていた時代だ。ある意味アンダーグラウンドにとってこれほど安楽な時代はなかった。しかし、素晴らしいレコードが成功を収める一方で、同じように素晴らしい作品が見落とされるのは避けられないことだった。この10組のグループが入ったこの記事は、全てを網羅した完璧なものというわけではないが、そろそろ再評価すべき忘れられた90年代バンドを取り上げていこう。 “靴下で完成させた人形 / アヒル型の洗濯挟みに模造毛皮の猫 / おばあさん、それいったい何なのさ?”Wirtten By Brett Milanoザ・ビートルズの無名時代の録音:トニー・シェリダン&ザ・ビート・ブラザーズ名義の「My Bonnie」失敗したバンドの再挑戦:成功することへのプレッシャーから生まれたマルーン5の『Songs About Jane』パワーポップの先駆者、エミット・ローズが70歳で逝去。その半生を辿るザ・ビートルズ「Lady Madonna」楽曲制作の裏側:「あの曲を作っていて、僕はどういうわけかファッツ・ドミノを思い出した」新型コロナの影響を受け、34年の歴史を誇る英国音楽雑誌“Q”が廃刊を発表レニー・クラヴィッツがバハマで行った最新パフォーマンス映像が公開故クリス・コーネルの誕生日にあわせて、ガンズの「Patience」未発表カヴァー公開ブライアン・メイのギター・ソロBEST10:最高のソロとはメロディと同じように上手く歌えるものレゲエのプロテスト・ソング傑作11曲:社会/国/権力/戦争/大麻規制/差別について声を上げた曲たちガンズ・アンド・ローゼズのメンバーによる『Appetite For Destruction』発売当時の楽曲解説オリジナル版挿入曲への愛とリスペクトが漂う仕上がり『メリー・ポピンズ リターンズ』のサントラの魅力とは? by 長谷川町蔵今泉圭姫子連載第21回:『ボヘミアン・ラプソディ』に続くか、モトリー・クルーの伝記映画『The Dirt』