雨とカプチーノ 歌詞 意味

【ヨルシカ】の「雨とカプチーノ」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。詩書きとコーヒーのアンサーソングであり、エルマ目線で綴られる本楽曲。今回もかなり感慨深い内容になっています。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨルシカ 724 ボーカロイドプロデューサーとしても人気のn-buna率いる男女2人組バンド『ヨルシカ』。異才を放つ独特の世界観でファンを魅了しています。彼らの2ndアルバムから【雨とカプチーノ】をピックアップ。歌詞に込められた意味、そしてカプチーノは何を象徴しているのかを独自考察していきます。 21,567 出典: 前作の1stfullAlbumだから僕は音楽を辞めたの続編で、n-bunaの描く物語を軸に楽曲を書き下ろしたコンセプトアルバムとなっている。 今作は、旅をしていた前作の主人公、青年エイミーから送られてきた手紙に影響を受けた少女“エルマ”が曲を手掛け、エイミーと同じ道を辿るというストーリーとなっている。 タイトル通り101曲のハワイ語歌詞と対訳が中心だが、文頭にくわしいフラソングの特徴・構造・スタイルなどの解説がある。1970年に出版された洋書の訳本なので馴染みの薄い曲も多いが、今なお人気のトラディショナルソングもある。一歩深くハワイの歌詞を知りたい人向け。 Oli / Hīmeni 出典: 126,436

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今回紹介していく アルバム単位で定められた明確なコンセプトの元、収録楽曲が制作されるヨルシカですが今作今回考察していく「思想犯」はまさにこの 楽曲の配信日に公開されたMVの概要欄では、楽曲について思想犯というテーマは、ジョージ・オーウェルの小説「1984」からの盗用である。そして盗用であると公言したこの瞬間、盗用はオマージュに姿を変える。盗用とオマージュの境界線は曖昧に在るようで、実は何処にも存在しない。逆もまた然りである。オマージュは全て盗用になり得る危うさを持つ。というコメントが残されています。 「盗作」というアルバム名からは主人公が非情な人物であるように思えますが、それはあくまで「オマージュ」の別の側面であるということがここで強調されています。 一体彼の晩年をオマージュした詩とはどのようななのでしょうか。 歌詞の考察に移る前に、まずはタイトルの意味を読み解いていきます。 先述の通り、 この小説の舞台は、巨大な国家により国民の思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられている世界。物語の主人公は国家により極刑相当の また辞書的に言えば、例えば戦時中の日本での反戦運動や社会主義運動なんかがこれに当たります。 楽曲の主人公は小説の世界ならば「思想犯罪」にあたる詩を書き連ねる音楽家であり、自らの信念のもとに犯罪を犯そうと目論んでいる危険な人物。 その意味で、楽曲タイトルには この楽曲名が歌詞の内容とどう関与しているのでしょう。 本題の歌詞考察に移ります…!他人に優しいあんたにこの心がわかるものか硝子を叩きつける音、何かの紙を破くこと、烏の歌に茜認められたい、愛したいビール瓶で殴る街路灯、投げるギターの折れる音、言葉の雨に打たれ他人に優しいあんたにこの孤独がわかるものか君の言葉が呑みたい烏の歌に茜 作詞:n-buna他人に優しいあんたにこの心がわかるものか 誰にも理解してもらえないような、いくらか歪んだ価値観を持つ主人公。 誰かを殺す快感を味わいたいだとかそういう動機ではなく、朝のニュースで報道されることが夢。あくまで主人公の思想の根底にあるのは、 何故人を呪う詩を書くことにとどまらず殺人のような大々的な犯罪を望んでいるのか、というその理由は次の歌詞で明かされています。 硝子を叩きつける音、何かの紙を破くこと、少々抽象的な表現ではありますが、恐らくここで歌われているのは 叩きつけられて砕けたガラスも、破かれた紙も、一度終わってしまえば二度と戻ることはありません。例えば花火だって、一瞬ではじけ飛んでしまえばそれでお終い。しかしながら、だからこそその最後の瞬間は美しく輝くのです。ガラスも紙も花火も、人間関係も。 だから主人公は、ニュースで報道されるような犯罪でこのつまらない毎日に劇的な結末を与えることを夢見ています。楽曲で登場する「君」との関係も、美しい「さよなら」で幕が閉じられることを切望しています。戻らない結末を与えることで、美しいものとして人生や人間関係を締めくくろうとしているのです。 烏の歌に茜ここで描かれている情景は、 君の面影に夕陽がさし、雲は焼き立つように赤く照らされる美しい街の中、主人公は「さよなら」という言葉を口を滑らせたように静かに告げる。主人公の抱える孤独も音に変わり街に消えていく。 主人公はそんな結末を夢に見ているのです。認められたい、愛したい主人公の夢は満たされないままに、ねじ曲がった形へと変わっていきました。 きっと世間にはこんな妬みがわかるはずがない。きっと誰にもこの憂鬱は理解してもらえない。そう感じて正常な認められ方、愛し方を放棄した主人公は、いつだって誰かを殴り、傷つける機会を探しています。 ビール瓶で殴る街路灯、投げるギターの折れる音、ビール瓶もギターも人間も、破壊してしまえばそれまで。一度それらを破壊してしまったその後には だから何かを壊して、世間の注目を集めて、君に「さよなら」を告げて、すべてを戻らない過去にしてしまいたい。人生を美しく締めくくりたい。 ここまでの歌詞でずっとそう歌い続けてきた主人公。しかしここからの歌詞では急に雲行きが変わり始めます。 言葉の雨に打たれ2番のサビの歌詞は一見すると時間の経過を表しています。大犯罪を犯して戻らない後悔を作りたいと願いながらも、結局そんなことはできず月日だけが流れていきます。 主人公は何故犯罪を犯せないのか。 ここで注目したいのが公式のコメントにもあった自由律俳句の代表的詩人・尾崎放哉の句にここでの歌詞は明らかにこの句を模したもの。アルバムのタイトルになぞらえて言うなれば「盗作」です。 これは41歳でこの世を去った尾崎放哉が人生の最後に残した句であり、海に憧れ、各地を渡り歩いた放哉が最後に思い浮かべた景色は結局懐かしい故郷のものだった、というわけです。 ここから想像するに、 戻らない後悔をしたいと願いながらも、過去を懐かしみ誰かを想う気持ちが主人公を妨げているのです。 脳MUSIC 脳LIFEの公式ライター。邦楽の歌詞の素晴らしさにもっと注目してほしい! という思いから、日々歌詞考察に勤しんでおります。脳MUSIC 脳LIFEの公式ライター。邦楽の歌詞の素晴らしさにもっと注目してほしい! という思いから、日々歌詞考察に勤しんでおります。 2019.11.21 518 507 25,874

1行目と4行目からは「言葉」と「心」が白黒つけられない灰色、つまりミルクにもエスプレッソにもなれない中途半端なカプチーノに自分の状況を重ねているのではないでしょうか。また、カプチーノはカフェオレやカフェラテと違って混ざりません。ミルクがクリーム状の泡になっているからです。このことからもどっちにもならないすっきりしない心の状態を表現しているのでしょう。 27,051

184 アルバム自体が物語になっているのですが、その中の1曲【雨とカプチーノ】はどんな曲でしょうか。本記事では、曲を手掛けたいう設定の“最後まで楽しんでご覧ください。まずはこちらの終始無表情の寂し気なエルマと、姿はあるけれど『エルマ』は前作『僕は音楽を辞めた』の続編でそして『僕は音楽を辞めた』に収録されている前作では、一緒に音楽を作っていた2人でしたが、何らかの理由で続けられなくなりました。エイミーはかつて、「つまり音楽を辞めたというのは、エルマとの関係が変わってしまったことを意味していました。原因や理由はどうあれこの背景が本それではここからはその気になる「雨」と聞いて連想するのは悲しみや、孤独感、涙などネガティブな感情です。これはエイミーがエルマに抱いている感情とも読み取ることができます。そして「カプチーノ」から連想されるのはミルクとコーヒーの層です。カプチーノはミルクの泡がコーヒーでもミルクでもなく敢えて、カプチーノ。なぜカプチーノなのかは、
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先入観を持たずに、純粋に音楽を楽しんで欲しいというコンセプト。だからこそ、彼らの音楽には「物語」という非常に深い意味が込められているのです。そんな彼らが20今回はこの1st音楽家にとどまらない 87,777 ヨルシカ 「先入観で音楽を聴いてほしくない」とのコンセプトから、2019年11月現在2人の顔や詳細なプロフィールは公開されていない。 雨とカプチーノ/作詞:n-buna 作曲:n-buna
33,422 2,085 【ヨルシカ】の「雨とカプチーノ」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。詩書きとコーヒーのアンサーソングであり、エルマ目線で綴られる本楽曲。今回もかなり感慨深い内容になっています。 22,746

独特の言葉選びや世界観でボーカロイドにはない素顔を公表しないことでその存在はベールを被ったままですが、その理由を次のように語っていました。 18,289 24 灰色に白んだ言葉はカプチーノみたいな色してる 23,619 https://ja.wikipedia.org/wiki/エルマ_(ヨルシカのアルバム)